女子駅伝で大怪我で、走れなくなり、這ってタスキを渡した件(以降「女子駅伝 四つん這い事件」と書きます)で、マスコミが賑わっている。
私は、報道と行動の思考がどうしても納得できない。だから、自分の考えを書きます。
美談だ。止めるべきだった。いや、ちがう。棄権を申し出たが審判が止めなかった。
関係者、有識者、文句言いたいだけの人(自分も含まれるの?)がいろいろ言っています。
「女子駅伝 四つん這い事件」の思考はおかしい!
確かに権限は優先順位をつけ明確に定めるべきです。審判は失格判定と棄権を認めることしか出来ません。
今回は棄権を認める葛藤や伝達スピードなど様々な感情や問題か絡み、この結果になったようです。
この一連の発言や報道に強い違和感を感じました。
「女子駅伝 四つん這い事件」で私は思う
問題の理想の解決方法は1通りのみで「誰1人不幸にならない方法」だと思います。
状況により不可能な場合は「出来る限り不幸になる人が少ない方法」が最良だと思います。
欠けている一番大事な思考
一連の報道や意見には、一番中心にあるべき「愛がない」のです。
思考の中心に愛があれば理想の解決方法は簡単に見えるはずです。
「棄権を申し出たのに審判が止めなかった」とレベルの低いことを言う前に、愛情を持ち行動出来たか振り返るべきです。
世の中はルールで成り立つと同時に愛情で成り立っていることを忘れてはいけない。
選手の気持ちを考えてみて下さい。(その方の走る実力も実績も知りません)
【追記】
全く知らないのも失礼と思い勉強しました。
選手は岩谷産業の飯田玲さん。
実績は詳しく知りません。
チームのため重傷を負っても、四つん這いでタスキを渡す方ですから人柄は何となく伝わります。
※以上が追記でした。
彼女たちは、本番に向け日々練習し、代表選出され区間を任された。
皆で練習した成果を披露する場で、自分の怪我で仲間の努力を台無しに出来ないと考えて当然です。
ここまでは私も同意です。
でも大切な事が抜けていませんか?
愛を中心に考えてみて下さい。
この行動には、仲間に対する強い愛があります。
個人として、夢の舞台だったのかもしれません。
そんな思いがありタスキを渡そうとしている選手を赤の他人の審判が簡単に止められますか?
棄権の命令が出ている。本人は「やる!やめない!」と。
止めれますか?止められないんじゃないですか?
審判は、むしろ個人の意思を尊重し、彼女に対する愛があります。
確かに再発防止するなら、棄権の意思を認める優先順位を明確にしないといけません。
私は、生死に関わる・一生歩けなくなるなど、今後の一般的日常生活に支障が出かねないのなら無条件で止めないといけないと思います。
ただ、怪我でもう選手としてやっていけないかも。というレベルの場合、止めるべきか判断は難しいです。
言い方は悪いですが、ランナーとして生計を立てていける人はわずかで、現実的には、やがて違う道に進む可能性が高いです。
走るのをやめ、社会人として働き、結婚して子どもを育てる道に進む可能性が高いことを考えると止めていいのか。
止めたら、先の人生で心のキズにならないでしょうか?
もう走れないけど、四つん這いなら可能性あるかも。
自分の出来ることを全て出し尽くし這ってタスキをつないだ。
このことを誇りに思い、今後の人生の自信になるかもしれません。
愛を中心に考えて下さい
全員のチーム愛もあり、彼女への周囲の人間愛もあるのです。
見えませんか?「止める」という思考が間違っているのです。
彼女がチーム愛も考え、周囲の愛も考え、自らの意思で「止まる」ように導かなくてはならないのです。
それが出来たのは監督及び一緒に練習した仲間だけでしょう。
審判にそんな関係を短時間で構築することは無理です。
監督が説得するべきで、近くにいなくて不可能なら、次走の選手に説得するように伝え行動すべきだったと思います。
次走の選手が歩み寄り、説得して納得して自らの意思で止まらないといけないのです。
どうしても止まらない時、それでも止めるのなら、次走の選手が体に触れタスキを奪えば失格になります。
一緒に苦労した仲間にしか、彼女自ら止まる気持ちに出来ない。
そして、失格で棄権するにしても仲間がやらなければ、彼女の心のフォローが出来ません。
後に誇れる行動が取れましたか?
日々一緒に練習し、心通じ合った仲間じゃないの?
ルールがあれば良いという問題ですか?(必要だと思いますが)
仲間なら、振り返って反省することがありませんか?
思っているだけではダメ。行動出来、はじめて意味があるのです。
報道はともかく、関係者はもう一度考えてほしい。
そして、飯田玲さんの今後の人生が幸せになるように願い祈っています。